朝も明けやらぬ午前5時ごろ、松原地区の獅子屋台(檀尻)が松原八幡神社へと出発します。
本宮の朝はこの露払いから始まります。真っ暗闇の境内の中で清めの儀が行われ、神官のお祓いを受けます。
その後、松原八幡神社に明かりが灯され、本宮の朝が始まります。獅子屋台はお旅山への道中を清めながら進んでいき、御旅山のふもと通称広畠(ひろばたけ)で清めの儀をおこないます。
お旅山のふもとで松原の露払い一行が清めの儀を行っているころ、年番(練り番)を務める地域では。近くの海岸で潮かきをおこなうため、3本の神輿幟を押し立てて、それぞれの屋台蔵より出発していきます。
午前6時、ようやく朝日が昇り始めたころ、神輿練りを務める氏子たちと「一の丸」「二の丸」「三の丸」と書かれた3本の神輿幟を押し立てて、海の中へと駆け込んでいきます。
10月の早朝海水は冷たく、氏子たちの身に冷たくしみるが、そんなものは関係ないと禊(みそぎ)をおこない。全身に海水をかけあう。中には勢いあまって神輿幟に登りだすものもいます。海からあがった氏子たちは焚き火にあたりながら暖をとり、神輿練りへとよりいっそう奮起し、宮入の時を待ちます。
宵宮と同じく、それぞれの屋台が東山・木場・松原・八家・妻鹿・宇佐崎・中村の順番に宮入していきます。年番(練り番)の地区は屋台を出さずに、宮入を最後におこないます。6台全ての屋台がそれぞれの位置に据えられると、練り番の地区の宮入となります。
本幟・3本の神輿幟を押して立てて、一気に楼門前、拝殿前へと突き進んで行きます。総代・副総代を肩車するものや、神輿を支えるケンゴーを手にしているもの、一団となっての宮入りです。
拝殿前から楼門南側にある大鳥居まで2度3度走って往復します。昔、大鳥居のところまで海が広がり、そこで潮かきをし、身を清めた故事に基づいたものであります。
その後、「一の丸」は応神天皇、「二の丸」は神功皇后、「三の丸」は比咩大神(ひめおおかみ)それぞれの神が乗り移られた神輿を練り上げ、拝殿前で三基の神輿を激しくぶつけあいます。
擬宝珠が取れようが、屋根がつぶれようが、体制が整えば次々にぶつけ合う、これがけんか祭りと呼ばれる語源でもあります。楼門前の広場でもひとしきり神輿を練り合わせ、本宮のメインでもある、神社から1km西側にある御旅山への神官渡御がはじまります。
松原八幡宮から西へ1キロ程離れた小高い山が御旅山です。練り場の両側を段々畑にはさまれ、球場のスタンドのように人が座っている、その数15万人はいるのではないでしょうか?
先頭で練り場に入ってくるのは、松原の露払い獅子屋台です。「テ・テン・テテン」他の屋台とは違う高い音色の太鼓を響かせ、獅子屋台を練り上げ、差し上げて、地面に叩きつけられます。しかし、叩きつけられても太鼓が止まることはありません。先陣として悪霊を払い清め、この祭りが無事に進行できるようにという願いを込めての荒業なのであります。この獅子屋台の太鼓の音は1996年環境庁の「残したい日本の音風景百選」に選ばれています。
松原の獅子屋台が山頂への険しい坂道を登り始めると、いよいよ3本の幟を押し立てて、3基の神輿の登場です。大観衆から一段と大きな拍手が巻き起こります。
すでに3基の神輿は八幡宮で練り合わせたため、壊れているが、そんなものは気にしないという勢いで再び神輿の練り合わせが始まります。
「一の丸」は一番重たく36歳以上の熟年組が担ぎ、「二の丸」は次に重たく26歳から35歳までの壮年組が担ぎ、「三の丸」は一番軽く25歳までの青年組が担ぐ。(地区によって異なる場合があります)一番軽いといっても重量は約300kgにもなります。ここでも、ひとしきり神輿を練りあわせると、露払い壇尻に続いて山頂を目指して坂を登り始めます。
神輿に続いて、各村の屋台が広畠へと登場してきます。順番は宮入の順番と違って、木場・松原・中村・妻鹿・宇佐崎・東山・八家(但し、練り番を務める村は欠番となる)の順番で広畠に登場してくきます。狭い広畠に時には3台、4台の屋台が練り合わせられ、そのたびに観衆から大きな拍手が起こります。
山頂までの険しい道のりを、広畠でひとしきり練り終えた、獅子屋台・神官一行・神輿・各村の屋台が登ってきます。急な坂道では屋台の重みがぐっと肩にこたえるが、練り子は必死の形相で練り上げ、山を登っていきます。
広畠で、屋台練りが繰り広げられているころ、山頂の御旅所では神輿を前にして神事が執りおこなわれます。祝詞(のりと)が奉上され、本来の祭りの姿が思い起こされる場面でもあります。全ての屋台が御旅所前に据えられると。登ってきた順番で下り始めます。
近年では下り始めることにはもう日が傾きはじめ、広畠まで降りてくると夕闇に染まる。練り子達は今年の祭りの最後を楽しむかのように最後の最後まで神輿を練り合わせ、屋台を練り合わせます。屋台には電飾が灯され、幻想的な雰囲気が練り場を包みます。観衆からも名残惜しそうに拍手が浴びせられます。最後の八家村が帰り路に着くときには大きな拍手が向けられ、この1年この日のために準備をしてきた祭りが幕を閉じていきます。